娘と中環を散歩。たまたま寄った公園が、中国革命運動で重要な役割を果たした場所だということを知りました。たまにあるこういう発見、面白いです。
中環 Central(セントラル)を娘と散歩していたら、娘がお腹が空いたと言い出し、ベーカリーでパンを買って公園で食べさせることにしました。グーグルマップで調べたら、近くにあったのが百子里公園 Pak Tsz Lane Park(バックズ・レーン・パーク)。子供の遊び場もあるような普通の公園だと思ったので(勘違いでした)、卑利街 Peel Street(ピール・ストリート)を上がり行ってみることにしました。
ローカルな卑利街 Peel Streetを上がっていきます。娘がお腹が空いた、疲れた、というので、もうすぐ公園だよ!と言い聞かせながら。
この卑利街 Peel Streetに入る通りがあるはずなのですが、公園がありそうな雰囲気が全くしません。でも歩いていったら、細い通路を見つけました。ここかな?と思って歩いていくと…
公園を発見しました😃今まで何度も近くを歩いたことがあるはずなのに、全く周りの通りから見えないので、こんなところに公園があるなんて気が付きませんでした。普通の公園だと思って来ましたが、何やら歴史のある場所のようです。
調べてみると…
百子里公園((Pak Tsz Lane Park))は、中国革命運動の歴史上重要な場所です。1892年3月13日にヨン・クワンとツェ・ツァンタイが革命の集会所として1 Pak Tsz Lane(公園の隣)に輔仁文社を設立しました。輔仁文社は、最終的に孫文の興中会と統合しました。公園ではパネル、白壁、黒のフレーム、フェンスが展示され、輔仁文社の歴史を一つひとつ詳細に説明しています。
香港旅遊發展局 Hong Kong Tourist Boardのサイトより
百子里公園(Pak Tsz Lane Park) | Hong Kong Tourism Board (discoverhongkong.com)
百子里公園の隣、百子里1號は、1892年3月13日に楊衢雲 (ヨン・クワン)と謝纘泰(ツェ・ツァンタイ)らが輔仁文社を創設した場所だそうです。輔仁文社は1895年2月21日香港興中會と合併され、10月10日孫中山(孫文)らとともに広州で蜂起を決定し、孫文は秘書、楊衢雲は総会長に選出されました。しかしながらこの蜂起は失敗しました。つまり、百子里公園は、中国革命運動の先駆けとなった場所というわけです。
木でできた涼亭の柱に刻まれているのは輔仁文社序、地面の英文は、輔仁文社の社綱(決まり事)の原文だそうです。
こちらの銅像は、辮髪を切っている人。反清を掲げて革命活動をした人々を表しているようです。思いがけず辿り着いた場所でしたが、色々なことを学ぶことができて、私的には面白い公園でした。娘的には遊具が全然なくてガッカリだったようですが😅
百子里公園 Pak Tsz Lane Park
住所:中環百子里1號