台中の中心を流れる緑川。日本統治時代、台中「小京都」計画の中心だった川だそうです。私が以前訪れた時はその面影はなかったのですが、今回訪れてビックリ。整備されて美しく生まれ変わり、娘とのちょっとした散策にぴったりの場所になっていました。
綠川とは…
台中市の中心を流れる4つの主要河川(柳川、梅川、麻園頭溪、綠川)のうちの一つ。
この「綠川」が生まれるきっかけになったのは日本統治時代のこと。綠川は、日本統治時代の明治36年(1903年)に明治33年(1900 年)の「台中市区改正」に基づいて整備され、明治38年(1905年)以降縱貫鐵路の施工と台中駅の設立に伴って、明治44年(1911年)に告示された「台中市街市区計画」に基づき、再度整備されました。
綠川は、もともとは「無名溪」や「新盛溪」と呼ばれていましたが、明治45年(1912年)に当時の台湾総督であった佐久間左馬太が台中神社の鎮座祭に参列し新盛川を視察した際に、川に映る緑が青々と美しいことから、「綠川」と改名しました。
現在の綠川「新盛綠川水岸廊道 Shin Sei Green Waterway」
戦後、河川が次第に汚染され、景観が損なわれるなどしたため、2016年末、台中市政府が「新盛綠川水岸廊道計畫」を開始し、川の水質向上や川岸の整備が行われました。そして、自然とアートをテーマにした「新盛綠川水岸廊道 Shin Sei Green Waterway」として生まれ変わりました。
参考:緑川水岸廊道-台中観光トラベルサイト Taichung Tourism
近くに宮原眼科があったので、宮原眼科のアイスを川岸のベンチで食べました。以前、台中に来た時はこんなに綺麗に整備されていなかったので、かなり驚きました。
水がかなり綺麗で、魚が沢山泳いでいてこれまたびっくり。
日本統治時代に建てられた櫻橋も、綺麗に修復されていました。
魚が沢山泳いでいて、鳥のさえずりも聞こえ、とても良い雰囲気でした。娘はこの川岸がかなり気に入ったらしく、あちこち走り回ったり魚を眺めたりして、離れたがらなくて困りました😅
<訪問日:2024年10月26日>
新盛綠川水岸廊道 Shin Sei Green Waterway