今週のお題「思い出の先生」ということで広東語の先生について書きたいと思います。
私は祖父が香港大好きだったこともあって小さい頃から香港にはよく遊びに来ていました。広東語はいつか習いたいと思っていて、香港に引っ越してきてからすぐに香港中文大学の広東語のフルタイムコースに通い始めました。
当時、普通話(中国語の標準語)はすでにできたのですが、広東語については全く話すことができず。もちろん初級クラスに入りました。文法、会話、聴解、漢字など授業がありそれぞれ先生が違いました。
中でも会話の先生が強烈。今でも鮮明に覚えているのが、初回の授業でカンフー動作を交えつつ、
「広東語はカンフーだ!!
やられたらすぐにやり返す!」
と、とにかく習った文法や単語を使って質問されたらすぐに答えるようにと言われたこと。先生のあまりの熱量に、ドン引きしたのは言うまでもありません😅
ほかにも初級なのに数分間スピーチの課題が出たりして結構なスパルタ?教育だったと思います。でも、そのおかげで当時まだ大して広東語ができないにもかかわらず、学校外で広東語を躊躇することなく話せるようになって、よく「香港来てどれくらいなの?」なんて聞かれて「3、4か月」と答えると広東語能力にびっくりされました。
結局、広東語は上級のディプロマコースまで通ったので、先生には約2年間お世話になりました。ほかにも色々な先生がいましたが、やはりこの「広東語はカンフーだ!」の先生の授業は最後まで緊張感があり、広東語のみならず香港について色々と学ぶことができました。初級のころは正直苦手で嫌だな…と思うこともありましたが、中級、上級とあがっていくうちに、よく考えたら、この先生が広東語学習で出会った中で一番良い先生だなと気が付きました。
コースを修了してしばらく経ってから、先生を囲んでみんなで食事に行きました。先生にはずっとお礼を言いたかったのですが、なかなか会う機会がなくて、この時にやっとお礼を言うことができました。やはりなんでもそうなんですが、何かを学ぶときに先生の存在って大きいなと…広東語学習で、あの先生に教えていただいて本当に幸運でした。最近お店で話すとか広東人のママ友とちょっと話すくらいでしか広東語を話していないのですが、また広東語の教科書を開いてみようかな…